SF的ディストピアを映し出す中国現代アート展「The Sleeper Awakes」@ホワイトラビットギャラリー(シドニー)

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「表現の自由」への規制が厳しい国や地域でアーティストはどのような表現活動を展開しているのでしょうか。シドニーのホワイト・ラビット・ギャラリーの展覧会「The Sleeper Awakes」で、現代社会における検閲や監視、孤立や不安をテーマした中国の現代アート作品が展示中です。SF作家H.G.ウェルズのディストピア小説のタイトルを冠し、人気につき会期を延長した同展に行ってきました。

「ディストピア」がテーマの展覧会

中国系アーティストの作品を専門に扱うホワイト・ラビット・ギャラリーの展覧会タイトル「The Sleeper Awakes(眠る人、目覚める)」は、1899年に発表されたH.G. ウェルズのSF小説『When the Sleeper Wakes』(1910年にThe Sleeper Awakesに改題)から付けられています。小説のあらすじは、203年の昏睡から目覚めた男が、貧困と政府のプロパガンダによってコントロールされ奴隷化された民衆の住まうディストピア社会を経験する、というもの。

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ホワイト・ラビットのウェブサイト

ディストピアはユートピア(理想郷)の逆で、日本語では暗黒郷や暗黒世界と訳されることもあります。平たく言うなら、明るくない未来。ディストピアを描く文学はH.G. ウェルズの十八番です。

ホワイト・ラビット・ギャラリーのウェブサイトによると、今回の展覧会の開催趣旨は以下の通り(抜粋して抄訳)。

1940年代、毛沢東と革命家たちは中国の「眠れる獅子」を目覚めさせ、強力な新国家を樹立しました。その70年後、やってきた未来は果たして彼らが夢見た社会主義のユートピアなのでしょうか?

この展覧会では、未曾有の自由や野心、楽観主義が、不安や孤立、偏在する監視と共存する社会を、中国の最も独創的な現代アーティストたちが作品に映し出しています。

この展覧会は訪れる人が多いため会期を1週間延長し、8月5日(日)まで開催とのことです。

監視・検閲社会としての中国

中国は、FacebookやTwitterといった世界のメジャーなSNSの利用禁止、一部の映画や小説、アート作品の発禁など、厳格な検閲や監視を政治に用いる国家として知られています。政府が「危険思想」と判断した国内外の情報をシャットダウンすることで国家の統制を強めることが目的と考えられますが、そこに個人の表現や言論、思想の自由は共存することができません。

中国最大のSNSというと新浪微博(ウェイボー、Weibo)がありますが、これも検閲が非常に強いことで知られ、例えば今年、セクハラやレイプなどの性被害を告発する世界的なムーブメント「#MeToo」のハッシュタグも使用できなくなったことが海外報道で明らかになっています。中国語で「私も」を意味する「#我也是」のハッシュタグ検索も同様に微博上でブロックされ、女性の人権団体「女権之声(Feminist Voices)」のアカウントは無期限凍結されました。

これを受け中国のネットユーザーは、規制されたハッシュタグの代わりにご飯とウサギの絵文字(🍚🐰)、または「#RiceBunny」というハッシュタグを使い始めました。「米兎」の中国語読みが「ミートゥー」に似た発音であるためだそうです。これらもいずれブロックされるのかもしれませんが……。

上記はあくまで一例ですが、そうした中国の政治的背景を踏まえ、中国の現代アーティストが「社会」をテーマに描いた作品をオーストラリアで見られるというのはとても興味深いことです。

参考:
From #MeToo to #RiceBunny: How social media users are campaigning in China」(オーストラリアの公共放送ABC、2018年2月6日の記事)
中国の#MeToo運動は、「絵文字」を駆使して政府の検閲を回避する」(WIRED.jp、2018年7月5日の記事)

H.G. ウェルズとは?

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ギャラリー内の壁面に描かれた展覧会タイトル

同展のタイトルの基となる作品を書いたH.G.ウェルズ(ハーバート・ジョージ・ウェルズ)は19〜20世紀に100冊以上の著作を発表したイギリスの古典SF作家です。『タイム・マシン』『宇宙戦争』『モロー博士の島』などSFの礎となる作品を次々と生み出し、『地底探検』や『海底2万里』のジュール・ヴェルヌと並んでSFの父と呼ばれています。

タイムマシンや透明人間タコ型の火星人といった現代ではよく知られたSFのモチーフを最初に発想したのもウェルズで、原子爆弾がまだ存在しなかった時代に原子爆弾による核戦争の勃発も作品の中で予見しています。ディストピア文学の先駆けである彼の作品は、ジュブナイル(児童文学)として読まれているものもありますが、現代の大人が読んでも十分に読み応えがあり科学や社会の「未来」について考えさせられます。

またウェルズは歴史家、社会活動家としても知られ、世界人権宣言日本国憲法の原案作成に影響を与えたともいわれるほど、思想的先見性を持った人でもありました。

なお、小説『The Sleeper Awakes』は過去に日本語訳として『今より三百年後の社会』、『冬眠200年』などの題名で出版(あるいは作品集の中の1作として収録?)されていたようで、検索しましたが現在は中古本しか手に入らないようです(日本の図書館などにはもしかしたらあるのかもしれません)。英語版は紙、電子書籍ともにAmazonなどで販売されているので、日本語版も再発されると良いのですが。そもそもこの本について日本語の情報は驚くほど少なかったです。

架空の国家から絵描きロボットまで

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会場の入り口付近に展示された3Dプリントによる船

展示会場で一番に目にしたのが、この大きな白い船の形をした作品。豪華客船のようですが、船体がグニャッと捻れ、船尾はすっかり反転してしまっています。どうやって作ったのか…と考えていると、船首側にメイキング映像も展示されていました。設計後、小さなパーツごとに3Dプリンターで作って組み立てたそうです(メイキング映像も面白かったのでぜひ)。

作ってから捻れたのではなく、初めから捻れた設計になっている船、というのはなんだかシュールです。デジタル技術の進歩が与えてくれるものは、不便さの解消といった明るい未来ばかりではないのかもしれないと考えさせられます。そういえば以前、3Dプリントで拳銃を作るというニュースもありました。

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地上2階の展示作品(”Republic of Jing Bang” by Sun Xun)

ホワイト・ラビットは地上4階建てのギャラリーですが、2階の展示室の全て使って展示されているのがこの作品。水墨画のような中国の景色に荒々しい龍などが描かれ、まるで天変地異のような、終末観にあふれた激烈さです。

これはSun Xun孙逊)による「Republic of Jing Bang(鯨邦實習共和國)」という作品のごく一部。この作品は、「架空の国家」を想定し、その国の様子や政府によるプロパガンダのポスター、パスポートや身分証明書などを一連の作品として展示しています。作者の出身国である中国ではなく、あくまで現実には存在しない国に仮託して、ということです。

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“Republic of Jing Bang” by Sun Xun

次のフロアにあった、コンピューターの画面に映し出された景色をデジタル情報として変換処理してキャンバスに絵を描くロボットのような「Weight of Insomnia(失眠的重量)」は、Liu Xiaodong(刘小东)の作品。

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“Weight of Insomnia” by Liu Xiaodong

絵を描く、作品を創るという行為さえも機械がその役割を担うというのは、アーティスト自身がアートの在り方に疑問を提示するようで皮肉です。

しかしAIなどの先端技術の高度化が進めば、AI搭載ロボットが味のある絵を描くことも決して難しいことではなく、それが実現した社会では人間はますます存在価値を問われることになりそうです。科学の発展のおかげで人間が幸福に生きられると無邪気に信じられていたユートピアは、もはや人間なしで成り立つ世界なのでは、と考えさせられる作品でした。

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“Some Days” by Wang Ningde(左)、”Zhang Qing’an” by Xu Qu(右)

写真を使ったアート作品の中で特にインパクトがあったのが、上の画像右のXu Qu(徐渠)の展示です。一般人と思われる巨大な顔写真のプリントは、眼球の部分にカメラのレンズが嵌め込まれ、表情もなくこちらを凝視しているように見えます。監視社会を形作っているのは国家や政府という大きなものだけでなく、市民1人ひとりがカメラの役割を果たし互いを監視し合うことで成立しているという示唆を感じます。

映像を用いた作品もいくつかあり、壁に投射された動く影絵のような作品も(”Walking–Man” by Huang Xiaoliang 黄晓亮)。歩く男性や化粧をする女性など、人間の日常の営みが、あたかも本当にそこにいるように影の姿で機械のように繰り返し再現され続けます。人間の普遍的な行動を描きながら、どこか非人間的で、孤独や徒労感を感じさせもします。

他にも、テレビゲームのスーパーマリオを模倣しコントローラーを持ってプレーできるゲーム感覚の作品や、木版画でプリントした絵を組み合わせた映像を赤と青の3Dメガネで観る作品などもあり、展示や体験の方法も実にバラエティーに富んだ展覧会でした。

中国ではアイ・ウェイウェイのように、その思想や行動ゆえに当局から拷問や不当拘束を受けたアーティストもいます。そんな中、国内のアーティストたちは今後どのようにアート活動を展開していくのでしょうか。SNSのハッシュタグのように姿形を変え、イタチごっこのように取り締まりの網をかいくぐりながらも自由な表現が発信されていくこと、またインターネットの力でそれが波及していくことは、政府にも止めようのない潮流なのかもしれません。

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ホワイト・ラビット・ギャラリーの地上階にあるティーハウス

ホワイト・ラビット・ギャラリーは毎週水曜〜日曜の10〜17時のみの開館ですので、訪れる際はお間違いなく。見応えのある展示に疲れたら、ギャラリー内にあるティーハウスにて美味しいダンプリング(餃子)と中国茶で飲茶休憩をするのが人気のコースです。

なお、同ギャラリーでの前回の展覧会「Ritual Spirit」についても別の記事にまとめてあります。

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