建物などの壁に描かれたミューラル(壁画)とグラフィティー(落書き)の定義の違いは何でしょうか。ニュージーランドで3月に起きたモスク銃乱射事件後に創られた「エッグボーイ」や、オーストラリア先住民の歴史と現在に焦点を当てた作品など、シドニーの3つのミューラルアートに注目し、そのコンセプトを考えてみました。
落書きか、壁画か

ミューラル(mural)は、日本語の「壁画」に相当する言葉。洞窟の壁に天然顔料で描かれた原始時代の絵も、ビルの壁に描かれたパブリックアートとしての風刺画や写実画もミューラルです。ミューラルアートという言葉もあり、アートのフォーマットの1つと認知されています。
現代において壁に描かれた絵というと、ストリートアートとしてのグラフィティー(落書き)も想起され、「グラフィティーとミューラルはどう違うのか?」という疑問が湧いてきます。共通点は、野外など誰でも見ることができる場所の壁面に描かれているということ。以下はオーストラリアで実際にミューラルと呼ばれる作品を見たり、アート系の記事などを読んだりする中で得た私感による分類です。
- グラフィティー:公共や私有の建造物の壁に「無許可で」描かれたもの。
- ミューラル:公共や私有の建造物の壁に「許可を得て」描かれたもの。
さらに私見に基づいて述べるならば、ミューラルと呼ばれる作品は社会的なコンセプトやメッセージを持つものが多い気がします。たとえば、歴史や文化に基づくモチーフを引用したり、政治的な出来事への風刺であったり。特に自治体などが町おこしの意味合いで主導した公共物としてのミューラルは、雰囲気が明るく、そのエリアの治安の向上に寄与する意図を感じさせるものも少なくありません。
一方、ストリートカルチャーの一部であるグラフィティーは、社会的なコンセプトよりも私的なメッセージやデザイン性が重視される傾向にあると感じます。グラフィティーアートとも呼ばれ、絵画やデザインとして技巧性においてクオリティーの高いものも多く、社会的なメッセージ性に富んだものも無くはないのです。ゲリラ的に無許可で描かれた、ということを除いては、グラフィティーをミューラルと区別するのは難しいかもしれません。他にウォールアート(wall art)という言葉もあり、これは広く「壁に描かれた絵」を指すので、ミューラルにもグラフィティーにも、室内の壁の装飾デザインにも使われるようです。
さらに、ゲリラ的な創作で名高い世界的な覆面アーティストのバンクシー(Banksy)の存在は、グラフィティーとミューラルの区別をいっそう難しくさせます。
世界中の街頭の壁に突如として現れるバンクシーの作品は、おそらく無許可で描かれていると思われますが、反戦や環境保護などについて強い問題提起の性質を持つものばかりで、グラフィティーとミューラルの両方の性質を持ちます。
「メッセージを伝える伝達手段としてのアート」を考えるとき、バンクシーはやはり作品のフォーマットという面でも、世界中の人々の価値観に揺さぶりをかける存在といえるでしょう。バンクシーのアートの例を敷衍して考えると、グラフィティーとミューラルの違いを決めるのは許可の有無より、アーティストまたは作品が社会やコミュニティーにどれくらい、どのように許容されているかにも関わる可能性を秘めていそうです。
ということで、グラフィティーとミューラルは明確な定義の下に創られるというより、不可分、あるいは横断的な存在と捉えたほうが良いかもしれません。実際、1つの作品をミューラルと呼ぶ記事もあればグラフィティーと呼ぶ記事もあるなど、統一されていない印象です。
さて、話をオーストラリアに戻して、シドニーの数あるミューラルアートの中から、「ジェニー・マンロ」と「4万年」、そして2019年に登場したばかりの「エッグボーイ」の3点を取り上げてみます。
ヘイマーケットの「ジェニー・マンロ」

シドニーの観光エリアであるダーリングハーバーとチャイナタウンの間にあるのは、オーストラリア先住民(アボリジナル・ピープル)の女性の横顔の巨大ミューラル「ジェニー・マンロ(Jenny Munro)」。世界的なホテルチェーン、ノボテルの10階立てのビルの側面に描かれ、歩道からも車道からもよく見えるロケーションです。近くに立って見上げると、絵のインパクトの強さと同時に、慈愛と力強さを併せ持ち遠くを見るようなモデルの表情的です。
制作したのはメルボルン在住のアーティスト、マット・アドネイト(Matt Adnate)。世界の先住民とその土地をテーマとした大型のミューラルを多く手がけるアーティストです。「ジェニー・マンロ」のミューラルは、オーストラリアの4大銀行の1つであるANZ銀行による「Inspiring Locals」というストリート・アート・プロジェクトの一環として2016年に制作されたもの。ミューラルの制作風景が、タイムラプス動画で記録されていました。
ミューラルのタイトルでありモデルでもあるジェニー・マンロは、シドニー近郊のレッドファーン地区でテント・エンバシー(テント大使館、Tent Embassy)と呼ばれる、テントを張った座り込みの活動を行った人として知られています。テント・エンバシーは、オーストラリア政府によって虐げられてきた歴史を持つ先住民族の権利を主張する抗議活動で、首都キャンベラを拠点に1972年から現在まで続けられています。つまり、彼らの主張は今も聞き入れられていないということです(参考記事:【前編】オーストラリアの「テント大使館」対「和解プレース」、あるいは先住民 VS 連邦政府)。これにちなんで、ジェニー・マンロが2014年からシドニーで開始した活動もテント・エンバシーと呼ばれました。
ジェニー・マンロがテント・エンバシーによって訴えかけたのは、貧困に苦しむ先住民のための低所得者向け公営住宅の建設です。遡ること数十年、1972年に当時のオーストラリア連邦政府は低所得向け公営住宅の建設のためにレッドファーンの「ザ・ブロック(The Block)」と呼ばれる用地を購入しましたが、建設が進まないまま2014年までの長きにわたって土地は放置されていました。しかも、シドニーの土地や不動産高騰を受け、ザ・ブロックに公営住宅ではなく商業施設の開発計画が持ち上がり、ジェニー・マンロを中心とするメンバーがそれに抗議行動を起こした、というわけです。
400日以上続いたジェニー・マンロらの抗議行動は、裁判を経て、連邦政府が低所得者向け公営住宅に7,000万ドルを拠出することに同意し、無事に終焉を迎えました。この功績が讃えられ、ジェニー・マンロは先住民族の権利のために戦う人としてミューラルに描かれたというわけです。

しかし、この話には続きがあります。2019年の現在も、肝心の住宅用地は下の写真の通り空き地のままで、建設が始まる気配がありません。周辺エリアは民間業者による開発が進んでいることもあり、何とも気がかりな状態が続いていますが、ジェニー・マンロの抗議が無駄にならないよう願うばかりです。
レッドファーンの「4万年」

上述のレッドファーンにも、有名なミューラルがあります。シドニーのセントラル駅からわずか1駅のレッドファーン駅前の、ローソン・ストリート・ブリッジ(Lawson Street Bridge)という線路上の陸橋の長さいっぱいに、絵巻物のような「4万年(40,000 Years)」という壮大なタイトルのミューラルが設置されています。このミューラルのモチーフとなっているのは、オーストラリア先住民です。

「4万年」は1983年、シドニーのアーティスト、キャロル・ラフ(Carol Ruff)を中心とするチームが地元コミュニティと協力して制作しました。その題の通り、悠久の昔からオーストラリア大陸に暮らしてきた先住民族の歩みを、陸橋の壁に向かって左から右へ、過去から現在にかけて単純化された分かりやすい絵柄で描いています。
野生の動物や植物と共に生きる人々の様子が描かれた後に登場するのが、以下の部分です。

戦いに倒れる人々と、西洋式の船。簡略化された絵ですが、おそらく1700年代のキャプテン・クックの上陸に始まるヨーロッパ人の入植と侵略と思われる描写です。歴史の中で、オーストラリア先住民族は大量虐殺や文化の剥奪に遭いながら、今日まで生きる権利を主張してきました。現代の彼らの様子は、先出の画像の、シドニーの街を背景に黒・赤・黄色のアボリジナル・フラッグを掲げる姿に象徴的に描かれています。
なお、レッドファーンはあまり治安の良くない地域として知られていますが、日中に人通りのある道を歩く分には他の街と変わりありません。レッドファーンの治安の原因として、「アボリジニーやトレス諸島民など先住民の人口が多いからだ」という意見がありますが、2016年のCENSUS(国勢調査)によると実際にレッドファーンの人口のうち先住民は2.1%で、NSW州の2.9%、オーストラリア全域の3.3%よりも低い割合です。とはいえ、オーストラリア政府から平等な教育や就業経験の機会を与えられてこなかった先住民の人々は、社会的地位が低くなりがちで、犯罪に手を染める割合が他の人々より高いことは事実です。今なお続く不平等な社会システムや差別への対応を見直し、先住民のQOL向上を図ることが、オーストラリア全体の治安や幸福度の向上に繋がることは明らかでしょう。
そうしたオーストラリア社会の状況のもと、「4万年」のミューラルは修復を重ねながら、今もシドニーのレッドファーンを行き交う人々の傍らに佇んでいます。
チッペンデールの「エッグボーイ」

2019年3月にシドニーで完成したばかりのこのミューラルは、通称「エッグボーイ(Egg Boy)」と呼ばれています。セントラル駅から程近いチッペンデールのロード・グラッドストーン・ホテルというパブの裏手の壁に描かれた、卵と携帯電話を持つ少年。このミューラルは、3月にニュージーランド(NZ)で起きたある出来事と深い関係があります。
3月15日に、NZ・クライストチャーチで起きた大量殺人事件。モスクに集うムスリムを狙ったオーストラリア人男性が銃撃で約100人を殺傷、しかも犯人はその様子を撮影しFacebook で拡散するという凶行ぶりを見せました。無差別テロと呼ぶにはあまりに偏った悪意に満ちた暴力的な出来事。NZのジャシンダ・アーダーン首相がイスラム教徒に敬意と弔意を示し、ヒジャブ(スカーフ)を巻いてムスリム・コミュニティーを見舞った姿は、連日テレビや新聞で報道されました。
このモスク銃乱射事件はオーストラリアでも大きく報道され、悲しみに沈む各地のモスクに花を手向ける人があとを絶たなかったようです。NZと同じくオーストラリアも移民の多い多文化国家ゆえ、さまざまな宗教やバックグラウンドを持つ人が共生し、多様性を認めることが良しとされています。しかし、中にはオーストラリアの多様性の意味を狭く捉え、移民を排斥する考えを持つ人もおり、政治家の一部も例外ではありません。
オーストラリア上院議員のフレイザー・アニングはNZでのモスク銃乱射事件を受け、事件直後には「ムスリムの移民と暴力の関係に反論する者がいるか?」とSNSで発言。彼の理論の破綻はともかくとしても、多様性を認めるオーストラリアではあるまじき発言です。これ対し翌16日、メルボルンでの極右政治集会に出席したアニング議員に、17歳の少年が生卵を投げつけるという抗議行動を起こしました。彼の行動はすぐさまSNSで拡散され、勇気ある英雄「エッグボーイ」として、人々の称賛を浴びました。
https://platform.twitter.com/widgets.jsThis is the moment an egg is cracked on the head of Australian senator Fraser Anning.
— ITV News (@itvnews) 2019年3月16日
He’s been caught in a row after appearing to blame the New Zealand mosque attack on Muslim immigration https://t.co/0mSwlQLfCt pic.twitter.com/Aa0et8ucP3
エッグボーイが各国メディアでニュースになったことで、アニング議員の言動も広く知れ渡るところとなり、オーストラリアはもとより世界から非難を浴びることになったのは少年ではなくアニング議員。卵を投げつけられたアニング議員が直後に少年を2発殴ったことも、彼の暴力的な面を白日に晒したことになります。エッグボーイは警察に拘留されましたが釈放され、その間にインターネット上ではエッグボーイの法的措置の費用と「卵の購入費」のために募金が始まり、3月末には7万5,000ドル(約595万円)に達しました。エッグボーイはその全額をNZのモスク銃乱射事件の犠牲者に贈るとしており、公共放送ABCのインタビューで、議員に卵を投げる行為は「やるべきことじゃない」と述べた上でテロなどの暴力行為を否定し、「このお金は1セント残らずクライストチャーチの事件の犠牲者の助けになる」「卵が人々を一つにし、寄付も集めた」とコメントしています。
シドニーにエッグボーイのミューラルは、スコット・マーシュ(Scott Marsh)というビジュアル・アーティストの手で、エッグボーイ事件からわずか4日後の3月20日に完成しました。「全てのヒーローがケープ(マント)を着けているわけじゃない」というメッセージの入ったミューラルには、少年が手に持っていた卵とスマートフォンも描かれています。
1つひとつのミューラルは、歴史上や日常のワンシーンを切り取り、人々の目に触れ続けることで出来事の風化を防ぐ役割を担っています。太古の昔から残ってきた洞穴の壁画のように、いつかオーストラリアの現代のミューラルも時代の記録として読み解かれる日が来るのかもしれません。その時には、座り込みをしたり卵を投げたりしなくても多様性が守られる時代になっていると良いのですが。

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