是枝裕和監督の『万引き家族』が今年2018年、カンヌ国際映画祭でパルムドール(最高賞)を受賞しました。オーストラリアでは6月のシドニー映画祭で急遽上映され、チケットは見事ソールドアウトに。『誰も知らない』『奇跡』『そして父になる』などの代表作で家族の在り方にスポットライトを当ててきた是枝監督が、人と人のつながりを描いた『万引き家族』の、あらすじや見どころ、「名付け」の意味、メディアを通じて見たオーストラリア人の反応などをまとめました。
『万引き家族』あらすじ
「焦らずに、店員が来るのをずっと待つのがコツなんだよ」と息子の祥太(城桧吏)に万引きの方法を指南する治(リリー・フランキー)。治と祥太は手慣れた万引きの帰り道、真冬の寒い屋外で凍えている小さな少女じゅり(佐々木みゆ)に出会い、家に連れ帰って食事を与えます。見知らぬ幼子を始めは嫌悪した治の妻・信代(安藤サクラ)でしたが、じゅりが虐待に苦しんでいることに気づき、亜紀(松岡茉優)や祖母の初枝(樹木希林)もじゅりを家族として受け入れていきます。
低賃金の工場仕事や日雇い労働の稼ぎだけでは足りず、万引きなどの軽犯罪を繰り返して生き延びている貧しい彼らですが、東京の片隅の古い小さな家での暮らしにはささやかな喜びや慰めもあります。しかし、彼らの万引きが露見したことから、家族の関係に変化が訪れ……。
オーストラリアのシドニー映画祭(Sydney Film Festival)では『Shoplifters(万引きする者たち)』のタイトルで英語字幕付きで上映された『万引き家族』。シドニー映画祭の公式サイトでは『万引き家族』について、以下のように説明されています(抄訳)。
2018年のパルムドール受賞作にして新たなマスターピースである『万引き家族』(監督:是枝裕和)は、生き延びるために軽犯罪に手を染めている日本の貧しい家族の物語です。
(中略)
万引きが暴かれたことをきっかけに、隠されていた彼らの秘密が浮かび上がり、家族をつないでいた不思議な絆は解け始めます。美しいまでの観察と、豊かに共鳴する瞬間を積み重ねて作られた『万引き家族』は、明るく、面白く、そして胸に迫る映画として、世界最高の映画に与えられる賞に輝きました。—–今作は、社会意識の喚起となった是枝監督の『誰も知らない』への回帰を意味するだけでなく、家族を構成するものとは何なのか、また急速に発展している日本社会で人々は繋がりを持つことができるかについて、引き続き取り上げています。魅力的で胸を締め付けるこの映画は、熱心な映画ファンとメインストリームの観客の双方の心を奪うでしょう。
マギー・リー(Variety)
シドニー映画祭での『万引き家族』上映

元々、この映画をオーストラリアで観られるのはもう少し先かもしれない、と思っていました。『万引き家族』のパルムドール受賞が発表されたのは、シドニーで毎年冬場に開催されているシドニー映画祭(Sydney Film Festival)の上映作品のラインナップが全て出揃った後のことで、ここでやらないとしたらそんなにすぐオーストラリアでロードショーになるだろうか、と考えていたのです。
今年、6月6~17日に開催されたシドニー映画祭は、世界中の映画のうちまだオーストラリアで封切りされていない優れた作品を中心に上映する年1回のイベントです。映画館での普段の一般上映よりも一足早く注目作を観る機会であることから、オーストラリアの映画ファンにとっては毎年楽しみなイベントとして知られ、期間中の12日間で10本、20本と大量に鑑賞する人もいるとか。今年で65年目という、意外と歴史ある映画祭なのです。
ということで、『万引き家族』の鑑賞はいつになることやら、と思っていた矢先に、シドニー映画祭のラインナップに追加という形で上映決定がアナウンスされました。当初、『万引き家族』は2回の上映予定でしたがチケットはすぐに完売してしまい、更にもう1回追加され、3回目の上映は6月19日。この日は映画祭の開催期間外でしたが、強気の姿勢で何事もなかったようにチケットが販売され、こちらも見事にソールドアウトしていました。
オーストラリアの観客の『万引き家族』への反応は?
『万引き家族』の上映日、チケットがソールドアウトしただけあって会場はほぼ満席でした。上映前に見た限りでは観客の年齢層や出身はバラバラのようで、パルムドール受賞作への注目度の高さや、是枝裕和監督の知名度などを再認識しました。
是枝監督の代表作の1つとして知られる『誰も知らない(英題:Nobody Knows)』は主演子役の柳楽優弥が、同年のカンヌ国際映画祭で最年少かつ日本人初の最優秀主演男優賞を獲得したほか、フランダース国際映画祭で最優秀作品賞などを受賞。ドキュメンタリー作品の出身として知られる是枝監督が、1998年に実際に起こったショッキングな巣鴨子供置き去り事件(戸籍のない子供たちがマンションの1室で育児放棄された状態で発見された事件)をモチーフにフィクションとして制作し、同作によって是枝監督の名前は世界に広く知られるようになりました。
そういった経緯も踏まえ、オーストラリアにも是枝作品のファンがいたことも『万引き家族』のシドニーでの鑑賞券の売れ行きに影響したようです。
Twitterで「Shoplifters SFF」と検索すると、以下のようなツイートが見られました(※SFFはSydney Film Festivalのオフィシャルな略称です)。
- 今回のシドニー映画祭の満足度1位:万引き家族。
- 万引き家族、すごく良かったし是枝作品の中で今のところベスト。
- 今年のシドニー映画祭にはがっかり(Climaxと万引き家族を除く)。
- 最近見たシドニー映画祭の作品(万引き家族など)、すごく色々考えさせられた。
良いコメントだけをピックアップしたわけではないのですが、これといって『万引き家族』についてマイナスな評価を呟く投稿は見当たらず、オーストラリアでは満足度の高いコメントが多く見受けられました。
また、「クリティクス(Critics)」という映画評サイトには、オーストラリアの映画批評家/ユーチューバーのアデル・ドローバーによる以下の動画が上がっていました。『万引き家族』のあらすじと感想を、情感たっぷりに伝えています。
『万引き家族』の見どころ
ここからは筆者が個人的に『万引き家族』で印象に残ったシーンなどを綴ります。一部ネタバレ要素もありますが、結局のところストーリーだけでなくセリフ回しも空気感も衣装も美術装置も、観ずに分かるものは何1つないので……と言い訳しておきます。

まず何をもってしても主演の2人、治(リリー・フランキー)と信代(安藤サクラ)という年の差夫婦の醸し出す空気が、この映画のカラーに大きく寄与していたと思います。ちょっとやさぐれた感じというか、貧しく、けれども清廉ではない人々の、奇妙ながら居心地の良い温かさと愛情。
彼ら「家族」は万引きだけでなく、車上荒らし、職場での盗難、軽いゆすり、違法な性風俗店での労働などで暮らしの糧を得ています。主演の2人はそれぞれ建築現場の日雇い仕事とクリーニング工場のアルバイトをしているのですが、いずれも決して高給ではない単純労働で、ともすれば人が生きていくための最低限未満の賃金しか得られない仕事。2人の態度に違いはあれど、職場では2人ともそれなりに真面目で地味な労働者です。しかし労働災害すら認めてもらえないような、人としての尊厳や権利を守られているとはいえない環境で2人は働いています。
生き残ることすらギリギリの危うい暮らしの中で、犯罪に走ることを仕方ないと正当化する映画ではありません。ただ、現実の日本社会にもこうした状況は遍在しているということを、是枝監督は『万引き家族』のモチーフとして取り上げたのだと思います。
「7人に1人が貧困層」という日本社会
日本は世界第3位の経済大国でありながら、先進国の中で貧困率の高さも目立つ格差社会であるといわれています。日本は約7人に1人が貧困層(貧困率15.6%:2015年)で、「相対的貧困層」と呼ばれる年間122万円未満の可処分所得しかない世帯がこれにあたります。
参考:東洋経済オンライン:普通の日本人が知らない「貧困」の深刻な実態
『万引き家族』の彼らは俗人で、経済社会に居場所がなくて、犯罪者で、それでも家族としての暮らしを維持するために必死です。そこには人間の生きる力やしたたかさ、家族を持ち続けるためにもがく愛情が感じられました。
家族愛、人と人のつながり方
初枝おばあちゃんは家族に対して時に淡々とした態度を取るという、日本の昔ながらの見えにくい愛情表現をしていますが、新参者の少女じゅりに一緒の布団で寝ることを提案したり、地上げ屋の立ち退き要求により家を失うことをサラッと拒むなど、行動で家族への思いを示しています。こういう役はさすが樹木希林、と思わず舌を巻きました。
最後の方、ガラス越しに信代が息子の祥太にある告白をするシーンも、家族愛を感じさせてくれた一幕でした。治と信代の祥太に対する愛情の形が違うことも明確になり、それがよりいっそう本物の家族のようで、人と人とのつながり、共に生きていくということについて大きな問いを投げかけられました。血縁があるから家族なのか、一緒に生活をするから家族なのか、それとも。
そして、素晴らしかったのが安藤サクラの涙の演技。彼女が泣くシーンは2つあるのですが、いつ涙を流し始めたのかわからないほどさりげなく、それでいて心の奥底から思いが零れてしまったような演技で、特にカメラに向かって芝居をする場面は迫力がありました。表情、立ち姿、発声、間の取り方、どれをとっても非の打ち所のない女優さんなので、彼女を見るためだけに『万引き家族』を鑑賞しても損はないと思ったほどです。素麺を豪快に食べるシーンも良かったです。
リリー・フランキーも「カメラに向かって芝居をするシーン」があるのですが(要するに他の役者に向かってセリフを言うのではなく、観客に向かってということ)、ここでも治と信代の「家族」に求めるものの微妙な違いというか、温度差のようなものが上手に浮き彫りにされていて良かったです。役者さんにとっては、カメラに向かって演技をするのは力量を計られるようで簡単ではないだろうと思います。
是枝監督の「子供」の描き方

上述の貧困率のような数字に反映されている以外に、無戸籍者や行方不明者なども合わせた実際の貧困率はさらに高いと考えられています。是枝監督の『誰も知らない』に登場した兄妹さながらに、戸籍の届け出がなされておらず教育も受けず、社会的に「いない者」として育っていく子供も、映画の中だけの存在ではありません。
10歳くらい(に見える)の少年・祥太(城桧吏、読み:じょうかいり)と、4歳くらい(に見える)の少女・じゅり(佐々木みゆ)の2人の子役は、オーディションで選ばれたそうです。幼い佐々木みゆのセリフ回しが上手くて(本当に子供の発する言葉のようで)驚くとともに、城桧吏の雰囲気が『誰も知らない』の時の柳楽優弥に少し似ていて、監督の役者の好みが感じられました。セリフは監督が口頭で伝えて覚えさせるという方法を採っていたとか。どちらも常に表情豊かな役どころというわけではなく、子役から抑制の効いた演技を引き出す監督の手腕が光ります。
他の作品でもそうですが、是枝監督は「子供」という存在の描き方が絶妙です。大人から見た子供、ではなくて、子供自身の目になって子供を描いているという感じがします。
「名付ける」ということ

どんなに生活が苦しくても、主人公たちは家族を意図的には手放そうとしない、というのが『万引き家族』の特徴です。彼らの暮らしは貧しくとも明るく、一方、その周辺にぼんやりと描かれるじゅりの母親や、亜紀(松岡茉優)の経済的には豊かそうな実家などは、世間体や外聞のために子供を冷たく突き放している、というコントラストも提示されています。ちなみに、亜紀はオーストラリアに留学中という設定でした。
松岡茉優という女優さんの演技をちゃんと見るのは初めてだったのですが、目が強くて存在感もあって印象的でした。いろいろな役を演じて表現の幅がさらに広がっていくのが楽しみです。ただ個人的には、亜紀が初めは疎ましく思っていたじゅりを家族として受け入れるに至った感情の流れが画面を通して感じにくく、唐突に打ち解けたような印象を受けたことだけが残念なポイントでした。
亜紀、祥太、じゅりという3人の未成年者には、作品の中で「別の名前を持つ」ということが行われています。具体的なことはさすがにネタバレが過ぎるので控えますが、彼らには本当の名前と、後から与えられた(あるいは付けた)名前があるのです。これは、『万引き家族』を鑑賞する上で1つの鍵になるかと思います。
普通の暮らしをしていると、新しい名前をもらったり、自分に名前を付けたりするという場面は滅多にありません。多くの人はこの世に生まれたときに与えられた氏名を日常的に長く使います。昔の日本では元服という成人の儀式で幼名から成人の名前に変わるといったこともあり、その例1つだけを考えても、名前が変わるということはただの記号的な事象ではない気がします。現代では名前が変わるというと、婚姻や離婚で姓を変える、または性転換などに伴って下の名前を新しい性別に合ったものに変える、といったところでしょうか。
いずれの場合も、新しい名前を与えるときというのは人生の中で「家」や「性別」といった属性に対するコミットメントの在り方が転換する、トランスフォーメーションのとき、だと考えられます。
『万引き家族』では、名前を与える、名前を持つということが「家族」や「社会」へのコミットメントに専用のIDやパスワードを持つような、特別なトランスフォーメーションの象徴になっていると感じられました。実は名前が変わったのは3人以外にも……。
この他にも、是枝作品への出演が続くリリー・フランキーが醸し出すだらしなくて頼りなくて愛おしくも生臭い人間味や、おばあちゃん役の樹木希林の「どの役もはまり役」にしてしまう安定した演技や、ちょい役で出てくる柄本明や池脇千鶴らが良い味を出していたことや、花火のシーンのカメラの構図の切り方が良かったとか、とにもかくにも脚本とセリフが良いということとか、『万引き家族』について語りたいことは限りなくあるのですが、ひとまずこの辺にしておきます。
■『万引き家族』公式サイト:http://gaga.ne.jp/manbiki-kazoku/
