世界で6,850万人に上るといわれる難民の現実を描いた映画『ヒューマン・フロー(Human Flow)』は、中国出身の芸術家で自身も政治難民のアイ・ウェイウェイ監督によるドキュメンタリー作品です。紛争や迫害、気候変動など危機的状況の続く故郷から逃れ、辿り着いた先でも多くの困難に苦しむ世界の難民の実情がフィルムに収められています。世界難民の日にちなんでオーストラリアで開催された「難民映画祭」で『ヒューマン・フロー』鑑賞した感想と合わせて、世界やオーストラリアの難民の現状についてもまとめました。
「世界難民の日」とは?
毎年6月20日は世界難民の日(World Refugee Day)です。元々はOAU(アフリカ統一機構)難民条約の発効を記念するアフリカ難民の日でしたが、世界の難民問題への理解や関心を高めるため2000年12月に国連総会で世界難民の日として制定されました。
世界難民の日に合わせて、その前後の通算1週間は国により「難民週間(Refugee Week)」として、難民問題の啓発キャンペーンの期間となっています。オーストラリアでは今年、「 #WithRefugees 」をキャッチコピーとしてオーストラリア難民評議会(Refugee Counsil of Australia)の主催による難民週間(今年は7月16〜23日)が催され、難民映画祭などのイベントが開かれました。

映画「Human Flow」のワンシーン(Photo courtesy of Amazon Studios)
難民問題に取り組む国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が2018年6月19日に発表したグローバル・トレンズ・レポート(年間統計報告書)によると、紛争や迫害、災害などにより家を追われた人の数は6,850万人(2017年末時点)。5年連続で増加し、過去最高を記録しています。また、「全難民のうち53%が18歳未満の子供」だとされています。
世界の難民の総数は、オーストラリアの人口(約2,410万人)の2.5倍以上、日本の人口(約1億2,700万人)の約半数にも上る人々が、自らの意思に関係なく難民として住み慣れた故郷を離れざるを得ない状況に追いやられているということです。これは世界の人口の110人に1人に相当します。
UNHCRによると、国境を越えて逃れる難民は全体の3分の1で、3分の2は国外に逃れることができず自国内で避難しているそうです。
難民の受け入れ数が最も多い国はトルコ(350万人)で、国の人口に対する受け入れ比率の高い国はレバノンとなっています。
参考:
【プレスリリース】 グローバル・トレンズ2017:強制移動は6800万人超、難民への世界的な取り組みの重要性高まる(UNHCR)
UNHCRのレポートを考察した「世界難民の日」を振り返って – 世界で強制的移住状態にある人の大多数は「国内避難民」という分かりやすい記事もありました。
難民ドキュメンタリー『ヒューマン・フロー』

今年、シドニーの難民映画祭では『ワタン(Watan)』『ストップ・ザ・ボーツ(Stop the Boats)』『ホープ・ロード(Hope Road)』そして『ヒューマン・フロー(Human Flow)』の4作品が上映されました。ワタンとヒューマン・フロウの2作品はチケットが完売していたので、特に注目度の高い映画であったことが伺えます。
現代美術家のアイ・ウェイウェイ(Ai Weiwei、艾未未)の監督作品「ヒューマン・フロー」は2017年12月に公開された作品で、オーストラリアでも今年の前半にパレス・シネマなどの映画館でロードショー公開されていました。
「人の流れ」と題されたこの映画は、23カ国を約1年をかけて撮影したドキュメンタリー映像を紡いで作られています。ギリシャの海岸に辿り着く難民ボート、そこから凍える難民を1人ずつ陸へ引き上げる支援スタッフ、寒々しい曇天の下を国境まで歩く人々の長い長い行列、迫害され周辺国への移動を余儀なくされたロヒンギャ(イスラム系少数民族)、気候変動で居住エリアの狭まるアフリカ、厳しい国境警備が敷かれたメキシコとアメリカ合衆国の境界など、インパクトのある映像が次々と、現実として観客に突きつけられます。
映画『ヒューマン・フロー』の公式サイトでは、作品について以下のように紹介しています。
第2次世界大戦以降で最大規模の6,500万以上の人々が、飢饉、気候変動、紛争などのために故郷を離れ、避難するという状況に置かれています。国際的な芸術家アイ・ウェイウェイによる壮大な映画の旅「ヒューマン・フロー」は、この大規模な人間の移動を強烈なビジュアルで表現しました。このドキュメンタリー作品は、難民の危機の驚くべき規模と、深刻な個人的影響を明らかにしています。
撮影は23カ国(アフガニスタン、バングラデシュ、フランス、ギリシャ、ドイツ、イラク、イスラエル、イタリア、ケニア、メキシコ、トルコなど)で行われ、世界各地の切迫する人間の物語を捉えています。無数の難民キャンプから、危険な海の横断、有刺鉄線で閉ざされた国境線に至るまで、「ヒューマン・フロー」は安全、避難場所、正義に対する彼らの絶望的な探求の目撃者です。そこには混乱と幻滅から、勇気、忍耐と適応まで、そして残された生の誘惑から、まだ見ぬ未来の可能性が描かれています。
寛容さ、共感、そして信頼が、これまで以上に求められる時代に、「ヒューマン・フロー」は作られました。心の奥深くへと訴えかけるこの作品は、人間の魂が何者にも侵すことのできないものであることを証明し、今世紀的な1つの問いを提示します。我々のグローバル社会は、恐怖、孤立、私利私欲から生まれ、そして開放性、自由、人間性への敬意の道を選ぶのでしょうか?
(Human Flow 公式サイトより抄訳)

暗闇の海をボートでわたる難民たち(HUMAN FLOW. Photo courtesy of Amazon Studios)
ある日突然、戦争や迫害、災害に命を脅かされ、ほんの少しの荷物を携え追われるように街を出て、危険を冒して海や国境を越え、何日も歩いて安住できる土地に辿り着くはずが国境は閉ざされ、貧しい難民キャンプで始まるのは明日をも知れない暮らし。それでも元いた場所よりは安全で希望があるはずだと、賭けるほかに生きる道がない難民たち。難民キャンプで生まれ育ち、他の暮らしを知らない子供たち。海を渡る途中やキャンプ地で、十分な安全も医療もなく死んでいく人々。

キャンプ地に向かって歩き続ける難民の列(HUMAN FLOW. Photo courtesy of Amazon Studios)
ある難民キャンプでは、たった1杯のスープを得るために雨の中を2時間も行列に並んで待たなくてはならないと、厳しい声色で説明する支援者。
キャンプで無邪気に声を上げて遊ぶ幼子たちの傍らで、そこに暮らす人々を診察する老いた医師が、子供の衛生環境や教育への懸念を語る姿。
海を越え不衛生な難民キャンプで暮らすうちに家族を失ってきた中年男性が、盛り上げられた土の墓の前で泣きながら見せる亡き娘や親族のIDカード。
受け入れてくれる国に辿り着くまで、2つ、3つもの国境を越えることが彼らにとっていかに困難であるかを、言葉少なに語る若い難民の憔悴した表情。
「難民に尊厳を」と書かれたプラカードを持って声を上げ座り込みをする難民の一団の隅で、何も言わず、プラカードの後ろに隠れるようにして涙を流していた汚れた服の青年。
現場で起きている出来事を、カメラは淡々と追っていきます。映像はそのショッキングさよりも、声なき人々の人間性にフォーカスを当てていたように感じられました。「難民」をニュースとして、事象としては知っていても、難民キャンプや避難所などの現場で日々行われている生活を映像で目の当たりにすると、彼らが同じ時代を生きる人であることを強く再認識します。
「難民」としてのアイ・ウェイウェイ
『ヒューマン・フロー』では。撮影クルーのカメラによる映像のほかに、ドローンによる空中撮影や、監督のアイ・ウェイウェイ自身がスマートフォンで撮影した映像が効果的に利用されていた点も印象的でした。特に、広大な難民キャンプ全体を遥か上空からドローンで撮影し、徐々に人の顔が見える高さまで降りてくる映像は、難民問題を遠くの出来事でなく人間1人ひとりの問題として扱う同作のテーマを象徴しているように感じられました。

作中にも登場するアイ・ウェイウェイ監督(左)(HUMAN FLOW. Photo Courtesy of Amazon Studios)
アイ・ウェイウェイその人も、『ヒューマン・フロウ』映像の中に時折登場します。UNHCRや現地の難民支援団体のスタッフにインタビューをし、泣き崩れる難民の言葉に耳を傾け、キャンプで人々と踊り戯れるその姿は、(作中には具体的に出てきませんが)アイ・ウェイウェイ自身が難民であることを考えるといっそう胸に迫るものがあります。
アイ・ウェイウェイは中国出身の芸術家ですが、詩人であった父親が文化大革命で迫害を受け幼少期のアイ・ウェイウェイも強制労働に従事させられたといわれています。その後は彼自身の芸術活動や政治的発言を理由に中国当局に拘束され、後遺症の残る暴行を受けたほか、パスポートを剥奪されるなど数々の不当行為を経験したそうです。2011年の彼の拘束に対しては世界各国の芸術家や、ドイツ、イギリス、フランス、アメリカの外相らも釈放を要求する声明を出すなどの事態に発展し、現在アイ・ウェイウェイはドイツのベルリンに逃れています。
このようなアイ・ウェイウェイの政治難民としての経緯を踏まえると、世界に広がる難民問題を人の尊厳という側面からしっかり描いたヒューマン・フローのコンセプトが理解しやすくなる気がします。そういった意味では、純粋なドキュメンタリーフィルムとしてだけでなく、アイ・ウェイウェイの目を通して見た世界を映像に託してまとめ上げた作品と説明することもできるかもしれません。
なお、2018年6月現在、日本では同作の公開予定はなく邦題も決定していないようです。グーグル検索をすると日本語の関連記事は少なく、「ヒューマンフロー」と「ヒューマンフロウ」の両方の表記が混在していますが、アイ・ウェイウェイのインタビューなど面白い記事がありました。
参考:
アイ・ウェイウェイが映す難民の現実『ヒューマンフロー』(ニューズウィーク日本版)
「人間の流れ」:アイ・ウェイウェイ インタビュー(i-D magazine日本版)
オーストラリアと難民
ここオーストラリアでも、長きにわたり難民との関わり方は取り沙汰されています。近年最も注視されているのが、パプアニューギニア(PNG)のマヌス島などにある難民収容施設の存在でしょう。
オーストラリア政府は、東南アジアやアフリカなどからの難民や亡命希望者を領海に侵入する直前の海上でとらえ、ナウルやPNGのマヌス島といった南太平洋の島々に設置し出資している一時収容施設(キャンプ)に移送していました。領海の外でのことなので難民条約に抵触しないという建て前の下、実際にはオーストラリアでの難民の保護を意図的に拒んでいる状態です。
しかもこれらの収容施設は人間が暮らす場所とは思えない劣悪な生活環境で、性的虐待や拷問が日常的に行われていることも明らかになっています。収容されたボートピープルは、いつ下りるとも知れないオーストラリア政府からの難民認定を待ちながら長い年月をここで過ごし、暴力や病気で死者も出ている状況です。
上は地元メディア「ガーディアン・オーストラリア」のTwitter投稿です。これまでに12人の難民がマヌス島とナウルにあるオーストラリアの収容施設で亡くなっていることに言及しています。死亡者の写真を見るかぎり、老衰などで自然死する年齢の人たちにはとても見えません。
オーストラリア政府は一時収容施設に劣悪な環境を作り出すことでさらなる難民の抑止策としている、とも言われ、国連や国際的な人権保護団体などから、貧しい島国に難民を押し付け「非人道的な犯罪行為」を行っていると批判や告発の声が上がっていました。
これを受け2017年10月、収容施設は閉鎖され、マヌス島内の代替施設に難民を移動する運びとなったのですが、移動先の施設もインフラや十分な食料が用意されていない状態であることがわかり、問題は解決していません。何年もこうした環境下で過ごすうちに精神を病んでしまう難民が少なくないという報道もあり、彼らの人としての尊厳は今も奪われ続けています。
オーストラリア政府による非人道的な政策は国際メディアなどにも大きく取り上げられ、今後の動きが注目されています。
参考:
オーストラリアの難民政策は「人道に対する罪」、ICCに告発(ニューズウィーク日本版、2017年2月24日)
ラッセル・クロウも批判する豪州の難民施設 − 閉鎖した難民問題がさらに泥沼化(東洋経済オンライン、2017年11月07日)
豪がPNGに設置し物議醸した難民収容施設、PNG当局が破壊(AFP、2017年11月10日)
なお、日本政府は難民認定数の驚異的な少なさ(認定率0.3%)で国際的な批判を受けていますが、一時収容施設で自殺者が出るなどしており、その対応(屋外で過ごせる時間が1日40分に制限されているなど)についても疑問を呈する声があるほか、「自称難民が増えている」「偽装難民」といった言葉を使った大手メディアの報道に対しても抗議の声が上がっています。
「難民」の定義
そもそも難民とは、どのような状態にある人を指すのでしょうか。UNHCRは助けが必要な人々を以下のように定義しています(抄訳)。
- 難民(Refugee)
暴力や迫害の危険があるために国を離れ、「国際的保護」が必要な人々。戦争から逃れる人々も含まれる。個別申請、または大規模な流入があった場合に、認定を受けると難民としての地位を取得できる。難民は、確かな自発的根拠がない限り帰国することはできない。 - 亡命希望者(Asylum Seeker)
難民認定を個別に申請し、その結果を待っている人。亡命希望者は、審査期間中は「国際的な保護」を受けており、自発的でない限り帰還することはできない。
※日本版UNHCRサイトには「庇護希望者」との和訳もあり。 - 国内避難民(Internally displaced person/people、IDPs)
自国の他の場所に生活の場を探さなければならない人々。
※難民には条約による定義が存在するが、国内避難民には明確な法的定義が存在しない。 - 無国籍者(Stateless person)
国籍がないことにより、人権と市民権を持つ人のためのサービスにアクセスできない人。
今後、気候変動などにより居住環境が悪化することから、世界の難民の数はさらに増加するとみられています。世界各地で今この瞬間にも起きている紛争や暴力行為も、続けば続いた分だけ人々の故郷を、生活を奪います。
各国での受け入れ数や難民認定数が、増え続ける一方の難民に対応しきれていない中で、彼らの「人としての尊厳」を保ち、そして難民をこれ以上増やさないために何ができるのか。同じ世界に暮らす1人ひとりが、自身の生活や考え方を見直すことを求められているのではないでしょうか。アイ・ウェイウェイ監督による映画『ヒューマン・フロー』は、その一助となるかもしれません。

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