アイ・ウェイウェイ「Law of the Journey」ほか − シドニービエンナーレ作品鑑賞記⑥

'Law of the Journey, 2017' by Ai Weiwei, at 21st Biennale of Sydney (2018). Photo: HeapsArt

「難民」をテーマにした中国人アーティスト、アイ・ウェイウェイの大型作品が、オーストラリアのアートイベント「シドニービエンナーレ」の目玉作品の1つとして、コカトゥー島で展示中です。巨大な漆黒のボートの上には、うつむくように背を向けて並ぶ顔のない人々が。小説家フランツ・カフカや現代思想家ハンナ・アーレントの警句も散りばめられた同作で、アイ・ウェイウェイが表現した「難民の今」に対するメッセージを探ってみました。

アートとアクティビズム

Part of Ai Weiwei's artworks at Cockatoo island in 21st Biennale of Sydney (Photo: HeapsArt)
アイ・ウェイウェイの作品の1つ(コカトゥー島)。スクリーンの映像には作家自身も登場している

現代アーティストとして世界的な知名度を誇るアイ・ウェイウェイ(Ai Weiwei、艾未未)は、アートアクティビズム(行動主義)の世界を垣根なく自由に行き来する人として知られています。そのため、彼の生み出す作品は社会的なテーマを表現するものであることがほとんどです。アイ・ウェイウェイのこれまでの活動については別の記事(後半部分)で触れたのでここでは割愛しますが、言論・表現の自由平等に生きる権利物質文明社会への批判など、言葉では語り尽くされてしまったようにも感じる人間の根源的なテーマを、アートというフォーマットで再提起し、真っさらな気持ちで見つめ直すチャンスを与えてくれます。

美術館やギャラリーといったアートのための空間だけで創作活動を行うのでなく、実際に迫害される人々のために声を上げ、考え行動するというアイ・ウェイウェイのスタイルは、その生き方そのものが独自のアートワークのように感じられます。

フィールドを限定せずに活躍するアイ・ウェイウェイのフラットな姿勢はアート作品そのものにも反映されており、一度見ただけで言わんとすることが伝わってくるような作風もその特徴です。どんな分野でも、天才と呼ばれる人は「誰にでも分かるように平易に表現する」ということに優れているようです。今回のシドニービエンナーレ(Biennale of Sydney)のアイ・ウェイウェイの展示にも、その能力がいかんなく発揮されていました。

廃墟に漂うアイ・ウェイウェイの難民ボート

Cockatoo Island (Photo: HeapsArt)
コカトゥー島の元・船渠(ドック)の内部

今回、アイ・ウェイウェイのメイン作品「Law of the Journey(旅の法)」が展示されているコカトゥー島は、シドニー湾に浮かぶ廃墟の島。フェリーで上陸すると元・船の修繕施設だった廃墟が立ち並び、その一部が展覧会の会場となっています。古びてなお無機質で冷たいイメージの残るコカトゥー島ですが、展示会場としてはアート作品をよりいっそう生き生きと見せてくれます。そのためか例年、コカトゥー島はシドニー・ビエンナーレの会場の1つに選ばれているようです。

'Law of the Journey, 2017' by Ai Weiwei, at 21st Biennale of Sydney (2018). Photo: HeapsArt
‘Law of the Journey, 2017’ by Ai Weiwei, at 21st Biennale of Sydney (2018)

真っ黒なポリ塩化ビニール(PVC)で作られたアイ・ウェイウェイの作品は、なんと全長60メートルのボートと、その上に乗る無数の人を象っています。左下に写る人と比較すると、作品がいかに大きいかが分かるかと思います。上の写真は、鑑賞者のために設置された階段の上のスペースから作品を見下ろしたところです。

'Law of the Journey, 2017' by Ai Weiwei, at 21st Biennale of Sydney (2018). Photo: HeapsArt
至近距離からだと見上げるような高さ

ボートとヒト型は同じ素材で出来ており、本物のゴムボートと同様に空気を入れて膨らませてあるように見えます。闇のように暗く重苦しい雰囲気で、妙な人間的な生々しさもあり、その一方で触ったら簡単に空気が抜けて壊れてしまいそうな危うさも感じさせます。作品自体の圧倒的なスケールの大きさは、作品のテーマである難民(refugee)問題の重大さや、拡大する難民人口を伝えようとしているのかもしれません。

ヒト型は整列するように内側を向いてボートの縁に腰掛け、一様にうつむき加減で、沈黙が漂います。迫害から逃れ、息を殺すようにしてボートの着岸を待つ難民の姿が、そこに凝縮されています。命の危機から遠ざかるために命をかけて難民になることを選んでも、その先の未来が必ずしも明るいとは限らない、そんな世界の難民の現実が表されているようです。

'Law of the Journey, 2017' by Ai Weiwei, at 21st Biennale of Sydney (2018). Photo: HeapsArt
作品のボートの下には、白いパネルに言葉が並ぶ

高い位置から眺めていた時には気づきませんでしたが、作品の足元、ボートの下には白いパネルが敷かれ、そこにはいくつもの言葉が記されていました。作品に沿って歩いていくと、全く異なるいくつもの警句が並べられていることが分かります。

'Law of the Journey, 2017' by Ai Weiwei, at 21st Biennale of Sydney (2018). Photo: HeapsArt
小説家フランツ・カフカ『審判』より

‘Logic may indeed be unshakeable, but it cannot withstand a man who is determined to live.’ (論理は全く揺らがないかもしれないが、生きることを決意した者には耐えられない。)

フランツ・カフカ『審判』より

'Law of the Journey, 2017' by Ai Weiwei, at 21st Biennale of Sydney (2018). Photo: HeapsArt
新訳聖書『ヘブライ書』13:2より

‘Show hospitality to strangers, for by doing that some have entertained angels.’
(旅人をもてなしましょう、そうすることで、ある人たちは気づかずに天使をもてなしました。)

新訳聖書『ヘブライ書』13:2より

'Law of the Journey, 2017' by Ai Weiwei, at 21st Biennale of Sydney (2018). Photo: HeapsArt
哲学者ソクラテスの言葉

‘I am not an Athenian or a Greek, but a citizen of the world.’
(われはアテネ人にあらず、ギリシア人にあらずして世界市民なり。)

ソクラテス

'Law of the Journey, 2017' by Ai Weiwei, at 21st Biennale of Sydney (2018). Photo: HeapsArt
思想家ハンナ・アーレント『われら難民』より

‘In the first place, we don’t like to be called refugees.’
(まず第一に、私たちは難民と呼ばれることを嫌う。)

ハンナ・アーレント『われら難民』より

他にも作家活動家思想家など、さまざまな人の言葉が作品の周りに巡らされ、鑑賞者が立ち止まり1つずつ読みながら、作品に託された意味を考えるような作りになっていました。無数に並べられた警句の意味を、どのように難民や亡命者という文脈に当てはめるかは見る人に託されていますが、気になる言葉、心に残る言葉に出逢う、という鑑賞の方法も良いのではと思いました。

全ての言葉を読みながら歩いていると、いつの間にか作品の周りをぐるっと1周しています。まず最初に俯瞰で(高い所から)作品を見て、次に近づいて、文字を見つけてさらに近づく、という鑑賞者の心身のステップがそのまま作品の見方として提示されているようです。読むという行為が加わることで、必然的に頭で考え、立ち止まって時間を使うので、作品に触れている時間そのものが長くなり、それはつまり作品のテーマについて思いを巡らせている時間が長くなるということ。もしかしたら「立ち止まって考える」ということ自体が、作者から鑑賞者に贈られたものなのかもしれない、などと考えさせられました。

最後に作品から少し離れて見てみると、言葉が記された白いパネルはボートの下で波打つ海のようにも感じられました。祖国や郷里を離れ、所属対象や安寧の地を失ってボートに乗った彼らは、「難民」「人権」といったテーマが社会的な課題であり続ける限り、その波に揉まれる漂流者であり、ボートの上でうつむいたままになってしまうというメッセージなのかもしれません。

別会場にもアイ・ウェイウェイの作品が

今回のシドニービエンナーレでは、アイ・ウェイウェイの別の作品も「アートスペース(Artspace)」という会場に展示されています。本物の水晶を使って作られた作品なのだとか。

'Crystal Ball' by Ai Weiwei, at 21st Biennale of Sydney (2018). Photo: HeapsArt
‘Crystal Ball’ by Ai Weiwei, at 21st Biennale of Sydney (2018)

この「クリスタルボール」というシンプルなタイトルのアイ・ウェイウェイの作品は、占い師が使う水晶玉を巨大にしたような印象ですが、水晶の台座部分に重ねられているのは無数のライフジャケット(救命胴衣)です。日に灼けたように色褪せ古ぼけたライフジャケットのオレンジ色は、粗末なボートで長い航海を経てきた難民を連想させます。難民の未来を占うかのように鎮座する水晶に、果たして何が映るのか、アイ・ウェイウェイは我々に問いかけているのかもしれません。

この作品の展示会場であるアートスペースは大規模なギャラリーではありませんが、他にも面白い作品があり、場所もNSW州立美術館から近いので是非。シドニービエンナーレは6月11日まで開催中。コカトゥー島アートスペースの他、各会場のアクセスや開場時間などは別の記事にまとめています。

まったく別のメディアなのですが、ミャンマーで迫害されるロヒンギャの人々の現状についての記事がありました。難民をめぐる課題が分かりやすくまとめられています。
 ■私が生まれた地球には、私の属する場所がない。ロヒンギャ青年の証言

望月優大さんという日本人編集者が、実際にロヒンギャの青年に取材して書いたものらしく、無国籍状態の難民という存在を取り巻く環境の厳しさを、鮮烈に伝えてくれています。人は何によって生きるのか、それは難民だけの問題ではないはずです。

なお、昨年2017年、アイ・ウェイウェイが世界中の難民をモチーフとして製作した映画「ヒューマン・フロウ(Human Flow)」が一般公開されました。マルチな表現の才能を発揮する彼が監督として何を描き出したのか、近く鑑賞してみたいと思います。

追記:
「ヒューマン・フロウ」の鑑賞記を別の投稿にまとめました。

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