デジャヴュの対義語である「Jamais vu, 2018」(ジャメヴュ、未視感)と題された、床一面に並べられた無数のガラス器と、不思議な残響の調べが織りなすサウンドスケープ。京都出身、シドニー在住の日本人アーティスト、流井幸治(Ryui Koji)さんによる同作品は、オーストラリアの現代アート展「シドニービエンナーレ」で展示中です。目だけでなく耳や肌で感じる美や違和感の体験をまとめました。
流井幸治さんについて

シドニービエンナーレの公式サイトによると、流井幸治さんは日常的な素材を新たな文脈の中で解釈する彫刻作品を生み出すアーティスト。彼のシドニーのアトリエには作品になる前のたくさんのモノや素材が所狭しと置かれているそうで、その作品は生物/無生物、見えるもの/見えないものといった認知の境界を曖昧にすることを特徴としているようです。
「事実」と「知覚」のはざまにある空間を探求することで、流井さんはモノと思想を並行的に描き、「これらのモノを集めることで、私は同時に自分の心の中にあるものを収集する。人はよくメモを取って考えを書き溜めるが、私はモノや素材を集めることによって同じことをしている」とのこと(同サイトより)。
「アートペディア」というサイトに、「六本木クロッシング2013」という展覧会などの流井さんの出品作の解説がありました。日常的なモノや素材を使って作品に仕上げるという彼の作風がよくわかります。また、オーストラリアのアート情報サイト「Art Guide Australia」にも流井さんについてのページが。分かりやすかったので参考にどうぞ。
Jamais vu(未視感)とは?
あまり聞きなれない言葉かもしれませんが、流井幸治さんの作品のタイトル「Jamais vu(ジャメヴュ、未視感)」は、「deja vu(デジャヴュ、既視感)」の対義語にあたるフランス語です。
デジャヴュが「実際にはこれまでに体験したことがないのに、既に体験したように感じること」であるのに対し、ジャメヴュは「実際にはよく知っていることを、初めて経験したように感じる体験。視空間失認の1つ」(goo辞書より)。癲癇(てんかん)や統合失調症の症状としても起こり得るものなのだとか。
こうして改めてジャメヴュの意味を考えると、日常的な素材を用いて違った文脈の中で再解釈、という流井さんの作風にぴったりの概念のように感じられます。
全身で感じるサウンドスケープ

流井さんの「Jamais vu, 2018」は、シドニービエンナーレの会場の1つであるコカトゥー島の古い倉庫の一室を丸ごと使ったインスタレーション作品です。無機質で簡素な造りの壁に四方を囲まれ、高い天井からは自然光が差し込む部屋の真ん中に、様々な形やサイズのガラスの器が並べられています。そして部屋の中には環境音楽のような不思議な音が響いています。

普通のワイングラスやデザートグラスかと思いきや、よく見ると高杯の足元の部分にボリュームのある作りのものが多いような。
また、室内をよく見ると白いワイヤーのようなものが天井から伸びるように張り巡らされ、その先端や床の上にはゴム製の小さなボールが点在しています。おそらく誰もが見たことのある、スーパーボールという玩具です。


ちなみにこの白いワイヤーは、普通の衣類乾燥ラックから取ったポリコートワイヤーだそうです(ビエンナーレサイトより)。ワイヤーの先に不安定な様子で載せられたカラフルなボールはまるで空中に浮遊しているようで、分子構造の図のようにも見えます。
実際に作品の中に立ってみると、映像で見るよりもっと不思議な、音が体の中にじわじわと入り込んで浸食されるような感覚を体験できます。音は空気の振動なので、耳だけでなく肌でその響きを感じる部分もあるのでしょう。インスタレーションという、体感するアートの形態を楽しませてくれる作品です。
そこにいると自分自身の体もまた、その空間の中に並ぶ「モノ」の1つのような気がしてくると同時に、ものすごく強い違和感もあるのです。違和感の正体は分からず終いでしたが、それだけにいっそう印象的な作品となりました。
部屋で鳴っている音自体はおそらくスピーカーで流しているのだろうと思ったのですが、スピーカーの位置は未確認です。部屋とガラスの共鳴や残響を表した音という印象で、不愉快な音色ではないのですが、ざわざわと心をかき乱されるような後味でした。洞窟の中を静かに吹き渡る風のような、無機質な金属音のような、それでいてどこか懐かしい音のような……。
ガラスの器、ワイヤー、スーパーボールという、どこにでもある、どちらかというと雑多な素材を脈絡なく組み合わせているように見える作品なのに、全体の印象はどこか美しく澄んでいる気がしました。体験する人によって、どんな印象になるのか気になるところです。
なお、コカトゥー島で見ることができるビエンナーレ作品の一覧は別記事にまとめています。
サウンドスケープとは?
アートの世界で時々耳にする「サウンドスケープ」という概念。流井さんの作品「Jamais vu, 2018」を説明する際にもサウンドスケープという言葉が使われていました。

サウンドスケープは日本語では「音風景」や「音景」などと訳されることが多く、聞いて字の通り「sound(音)」と「landscape(風景)」を組み合わせた造語です。
サウンドスケープとは
作曲家 M.シェーファーが提唱する概念で、「音の風景」を意味する造語。騒音などの人工音、風や水などの自然の音をはじめ、社会を取囲むさまざまな音環境の総体をさす。それは地域や時代、季節、時間などによって変化し、どのように人に聞こえるかは、その場合によってそれぞれ異なる。音環境の認識は、まず耳をとぎすます訓練 (イヤー・クリーニング)に始まり、さらに音楽作品としての音環境を提示するなかで、その地域に不可欠な特質を保存し、自然音・人工音の美的な調和を創造する「サウンドスケープ・デザイン」プロジェクトへと展開する。その実践には,社会的・文化的諸問題が含まれている。
(コトバンクより)
音が個人や社会にどのように知覚されるかという点を重視した音環境、ということだそうですが、詳しく知りたい方には美術情報サイト「アートスケープ(artscape)」の説明が分かりやすかったです。
