【映画】アカデミー賞、オーストラリア出身者は編集賞『ダンケルク』のリー・スミス

 

ハリウッドで2018年3月4日(現地時間)、第90回・米国アカデミー賞の授賞式が行われました。オーストラリア出身で、主演女優賞候補にノミネートされていた『アイ、トーニャ(I, Tonya)』のマーゴット・ロビーは授賞を逃してしまいましたが、『ダンケルク(Dunkirk)』の映像編集技術者リー・スミスがオーストラリア出身ということで、彼のキャリアなどを遡り、加えてアカデミー賞授賞者のスピーチに登場した「インクルージョンライダー」というキーワードや、「多様性」「包摂」についての雑感などもまとめます。

第90回アカデミー賞まとめ

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まず今回のアカデミー賞では、『シェイプ・オブ・ウォーター』が作品賞のほか、監督賞、美術賞、音楽賞と今回最多の4部門を獲得。主演女優賞は『スリー・ビルボード』フランシス・マクドーマンド、主演男優賞は『ダーケスト・アワー』のゲイリー・オールドマンが授賞しました。

全ての賞のノミネーションと授賞の情報はBBCニュースにまとめられていました。余談ですが、日本だとどんな賞でも「男優賞→女優賞」の順で発表・記載することが多く、オスカーの公式サイトでも同じく「男優賞→女優賞」の順。ただ、BBCの記事では逆で「女優賞→男優賞」の順でした。

この「男優」「女優」と分ける慣習もそろそろ無くなって、「俳優」に統一される日が来るのではないかなと思ったりします。性的マイノリティーなど「男女」の分類に囚われない俳優たちはどう感じているのか気になるところです。

ハリウッドは昨年から、それまで無いないものとされてきた性差別やセクハラが大きなスキャンダルとして取り沙汰されており、ソーシャルメディアで「#MeToo(私も)」「#Time’sUp(もう終わり)」といったハッシュタグを付けて被害を告発したり、こうした問題に立ち向かう意志を示すといったことが起きています。被害に遭っているのは女性に限らず、男性からも声が上がっています。

こうした問題を踏まえ「多様性を受け入れる社会」について、主演女優賞のフランシス・マクドーマンドの授賞スピーチが注目されていたので、当記事の最後で取り上げます。

編集賞のリー・スミスって誰?

第二次世界大戦中の実話を元にした戦争映画『ダンケルク』は編集賞、録音賞、音響編集賞のオスカー3冠に輝き、技術力の高さが注目された形となりました。編集賞を授賞したのが、オーストラリア出身の編集技師リー・スミス(Lee Smith)です。

『ダンケルク』の監督は『ダークナイト』(2008年)や『インターステラー』(2014年)のクリストファー・ノーラン。彼の映画の壮大かつ臨場感のある画面作りには、リー・スミスが貢献していたんですね。

授賞発表まで主演女優賞ノミネートのマーゴット・ロビーにばかり注目していたオーストラリアの映画メディアは、突然のように「オーストラリア人のリー・スミスが編集賞授賞!」と騒ぎ立てた感もありますが、リー・スミスは授賞スピーチで、ノーラン監督の編集能力にも敬意を表した上で、「授賞をとても、とても嬉しく思います」とコメントしました。

編集技師のリー・スミスはクリストファー・ノーラン監督やピーター・ウィアー監督の作品に関わることが多いことで知られ、ウィアー監督の『マスター・アンド・コマンダー』(2003年)でも第76回アカデミー編集賞を授賞(ちなみにこちらも戦争映画)、ジェーン・カンビオン監督の恋愛映画『ピアノ・レッスン』(1993年)では英国アカデミー賞にノミネートされました。

リー・スミスは1960年シドニー生まれ、『地獄の脱出/デッド・エンド』(1986年)から技師としてのキャリアをスタートさせ、編集技師としてのクレジットは29作品、音響部門では20作品などとなっています(インターネット・ムービー・データベースより)。

リー・スミスが他に編集技師として関わった作品は近年だと『エリジウム』(2013年)、『ダークナイト ライジング』(2012年)、『X-MEN: ファースト・ジェネレーション』(2011年)、『インセプション』(2010年)、『ダークナイト』(2008年)などで、かなり人気作で活躍している技術者であることが分かります。全てではないですがハリウッドっぽい映画が多いですね。

もう1人のオーストラリア人候補者

今回のアカデミー賞で実はもう1人、オーストラリア出身のポール・マクリス(Paul Machliss)も『ベイビー・ドライバー』で編集賞にノミネートされていました。ガーディアン紙(オーストラリア版)によると、スミスとマクリスの編集スタイルは対照的で、「ノーラン監督のぎらぎらした本能的なフィルムにおいて複数の時間軸の場面をメスのような精度で編集していくスミスに対し、マクリスはエドガー・ライト監督の風変わりなビジュアルを洗練されたアプローチで編集した」と評価されています。

ハリウッド映画界と「多様性」

今回の授賞スピーチで、メディアにとりわけ多く取り上げられたのが主演女優賞のフランシス・マクドーマンドです。

彼女が使った「inclusion rider(インクルージョン・ライダー)」という言葉が英語ネイティブの人にとっても耳慣れない新しいものであったらしく、オーストラリアでも公共放送ABCのニュースサイトなどで解説されました。

フランシス・マクドーマンドはスピーチの途中で会場の女性候補者たちに立ち上がるよう呼びかけ、「メリル(・ストリープ)、あなたが立てばみんな立つから」と促し、「私たちには伝えたい物語があり、資金が必要なプロジェクトがありますが、今夜のパーティーではその件で私に話しかけないでください。近日中にあなた方のオフィスに私を招くか、あなた方が私たちのオフィスに来てもらえたら、そこで全部話します」と会場に集まった映画関係者に向けて言い、「最後に、inclusion riderという2つの単語を皆さんに贈ります」とスピーチを締めくくりました。

この後、バックステージでのインタビューで彼女は以下のようにコメントしています。

インクルージョン・ライダーとは?

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インクルージョン・ライダー(inclusion rider)は、映画制作の世界で多様性のあるキャストおよびクルーの雇用を約束する契約方式で、これを遵守しない場合ペナルティーを課すというものです。この場合の多様性とは、有色人種や女性などのマイノリティーを含む状態を指します。

インクルージョン・ライダーという概念は、南カルフォルニア大学のシンクタンク「アネンバーグ・インクルージョン・イニシアチブ(Annenberg Inclusion Initiative)」の創設者であるステイシー・スミス博士らが提唱したもの。

同シンクタンクは20072016年にかけて制作された約1,000本のハリウッド映画について調査を実施し、映画のストーリーではなく制作現場に「無意識で明らかな偏見」の懸念があったとして、ハリウッドの多様性の欠如を指摘しました。

同調査によると、調査対象となった映画の監督のうち女性はたったの4%で、男女比は24:1。黒人またはアフリカ系アメリカ人は5.2%、アジア人またはアジア系アメリカ人は3.2%という結果が出ました。

これを踏まえ、ステイシー・スミス博士らがデザインした「インクルージョン・ライダー」というモデルでは、映画制作現場の役者とスタッフの男女比を50:50にして、有色人種を40%、LGBTQ(性的マイノリティー)を5%、ディスアビリティー(障害のある人)を20%含めるべきとされています。

今後、このインクルージョン・ライダーが映画界でどのように受け入れられていくかまだ結果は出ていませんが、フランシス・マクドーマンドのスピーチによってこの言葉・概念は多くの人の知るところとなりました。

ソーシャルメディアの存在感

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上述の調査からも明らかになったように、映画界では男女差別の問題だけでなく、黒人など有色人種への差別性的マイノリティーへの差別も指摘されており、「多様性」を認める社会に向けて少しずつ動き出しているところという感じがします。

ビジュアル・メディア(特に映画のマスメディアであるハリウッド映画)が世界に与える影響が大きいからこそ、こうした動きが更に他の業界へ広がっていくことは予想に難くありません。既にスポーツ界などからも声が上がっていますね。

その実、これらの課題に対して行政などによる対応がしっかり進んでいるのかというとあまりそういう印象もないのです。しかしこれまで社会問題というと「問題発生→明るみに出る→政治が動く」という図式で何かが解決される(あるいは、されない)というのが一般的でしたが、それも変わっていくのかもしれないと感じます。

「インクルージョン・ライダー」という聞き慣れない言葉が登場した際、ソーシャルメディア上には「それ、何?」と情報を求める声が溢れ、それを受けたようにメディア各社は単語の意味を説明する記事を拡散。こうした流れを予想した上での、フランシス・マクドーマンドのスピーチだったのでしょう。

個人によるソーシャルメディア利用のインパクトはもはや無視できないレベルに成長しており、社会や経済を動かす存在でもあります。近年、ニュースを見ているとツイッターやインスタグラム、フェイスブックなどのソーシャルメディア投稿を引用したものが非常に多いですね。

社会やコミュニティーの在り方を考える時、これまでのように法整備や罰則規定により「上から下へ」社会構造に変化を与えていく方法でなく、「下」である社会そのもののムードが変わることで価値観を作る構造自体が変化していくということがこれから(部分的にでも)もっとスピーディーに起きていくのかもしれないと、そんなことを思いました。すると「上」は最終的にどうなるんでしょうね。ちょっと社会学か現代思想臭くなってしまいましたが。

多様性のキーワード、社会的包摂とは?

BBC日本版では、今回のアカデミー賞授賞式について「登壇した受賞者やプレゼンターの大勢が、女性や少数民族、性的少数者などあらゆる人の包摂と権利実現の重要性を繰り返し強調した。」とまとめられていました。

包摂とは、社会学などでよく登場する概念です。

包摂

一定の範囲の中につつみ込むこと。
論理学で、ある概念が、より一般的な概念につつみこまれること。特殊が普遍に従属する関係。例えば、動物という概念は生物という概念に包摂される。 (コトバンク)

「社会的包摂」という言い回しをすることも多く、英語で「ソーシャル・インクルージョン」を指します。

ソーシャル‐インクルージョン(social inclusion)

《「社会的包容力」「社会的包摂」などと訳される》障害者らを社会から隔離排除するのではなく、社会の中で共に助け合って生きていこうという考え方。  (コトバンク)

世界銀行はこの「社会的包摂」について、障害者に限定はせず「社会の一部を担うにあたって不利な個性を持っている人々の、能力、機会、尊厳を向上させるプロセスを含む」と定義しています(2013)。

多様性を実現するための実践的な方法、あるいは多様性が実現している状態、それが「包摂する」ということだと考えて良さそうです。

なおオーストラリアでは2004年に南オーストラリア(SA)州で最初のソーシャル・インクルージョン大臣が誕生し、ホームレス支援などが行われたそうです。その後2007年には州でなく国家の単位で、当時のケビン・ラッド首相が、ジュリア・ギラードを初の連邦政府ソーシャル・インクルージョン大臣に任命しました。

国レベルでの取り組みも世界中で少しずつ進んでいますが、社会全体の意識が変わらないことには状況は変わりません。ソーシャルメディアなどを通して問題に気がつくこともその一歩になるのではないでしょうか。

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