港湾都市シドニーの公共フェリー(シドニーフェリー)に導入された新型船舶の名称が「メイ・ギブス(May Gibbs)」に決定したと今年1月末、NSW交通局(Transport for NSW)が発表しました。フェリーの名称決定の経緯と併せて、オーストラリアの著名な絵本作家/児童文学作家/イラストレーターであるメイ・ギブスの作品と生涯をみていきます。
フェリー名称、決定に一悶着?
シドニーフェリーはそれぞれの船舶に名前を付けており、下の写真は「アレキサンダー号」。これと同様に「メイ・ギブス号」が誕生するというわけです。

ただしこのネーミングには一悶着あったようで、元々は「マクフェリー・フェイス号」という名前に既に一度決定しており、メイ・ギブス号になる予定はありませんでした。マクフェリー・フェイスは一般投票で選ばれた名前でしたが、集めた票数はわずか182票で、NSW州政府の定める投票基準に満たなかったことが発覚。また名称がファストフード店マクドナルドに似た響きだという指摘もあり、NSW州のコンスタンス交通相は、マクフェリー・フェイスの名称は夏季限定とし、その後メイ・ギブスに変更すると発表しました。
この顛末は行政によるなんともお粗末な出来事として、地元メディアでも取り上げられました。
街のアイコンであるオペラハウスやハーバーブリッジを眺めながら水上を進むシドニーフェリーは、観光客に人気の乗り物であることはもちろん、通勤・通学にも欠かせない市民の足です。シドニーフェリーの運賃は電車やバスより割高感があるものの、同湾を航行する民間のフェリーよりは安価で、シドニー湾を迂回して陸路で南北を行き来するよりぐっと時間を短縮できます。
メイ・ギブス代表作、今年で100周年
そんなこんなでメイ・ギブス号が誕生する運びとなったわけですが、今年2018年はギブスの著作『スナグルポット・アンド・カドルパイ(Tales of Snugglepot and Cuddlepie)』の出版100周年の年でもあります。
ヨーロッパからのオーストラリア入植がわずか200数十年前であることを考えると、100年前から読み継がれている本の存在感は尚更大きい気がします。
日本版も出版されているこの絵本、オーストラリアでは古典にも分類され根強い人気を誇る作品です。スナグルポットとカドルパイという名のユーカリの実の兄弟を主人公としたファンタジックなお話で、オーストラリアの植物や自然を擬人化したほのぼのかつ不思議な物語はギブスの真骨頂といえます。
オーストラリアのAmazonで1984年版のペーパーバッグを見つけたのですが、ほんわかしたイメージとは違う原色の表紙は良くも悪くも新鮮でした。
同じくAmazonにある2010年版のペーパーバッグの表紙はナチュラルな色使いで、ギブスの公式サイトにもあるような一般的なギブスのイメージに合うものです。価格も手頃だったので、絵本を通してオーストラリアの自然を知りたい人に良いのでは。ただ若干タイトルが異なり『The Complete Adventures of Snugglepot and Cuddlepie』となっているのはなぜなのか……版元が違うからでしょうか。
イギリスから移住した
少女
セシリア・メイ・ギブスは1877年、アーティストで風刺漫画家だった父と公務員の母の一人娘としてイギリスで生まれ、彼女が4歳の時(1881年)に家族でオーストラリアに移住しました。
ギブス一家は当初、SA州やWA州のファームエリアで農業や畜産業を営んでいましたが、軌道に乗らなかったのか数年でこれを諦め、パースに移住。これらの日々を通して、少女だったギブスはオーストラリアの独特な自然の美しさに親しんだといわれています。
若い頃から芸術の才能を発揮したギブスは特に植物を描くことに優れていたそうで、15歳の時には地元パースのワイルド・フラワー・ショーのアート・プライズを受賞しています。
1900年代初頭にロンドンでアートを学んだギブスは、イギリスで健康に不調をきたして(気候が合わなかったといわれています)パースに戻り、地元の雑誌や新聞などでイラストを描く仕事を請け負うことで、当時としては新しい“手に職を持つ女性”としてキャリアを築いていきました。ギブスをフェミニストと捉える人もいるようですが、これに対し本人は後年に「私は自分を個人以上のものと思ったことはない」とコメントしています。
ギブスはその後、再びイギリスに舞い戻り、1912年には初の著作『About Us』をロンドンで出版(オーストラリアでは未刊)。しかし多忙により再び健康上の不調が発生したことで1913年にオーストラリアに帰り、シドニーのニュートラルベイに落ち着きスタジオを構えます。
シドニーで生まれた『ガムナット・ベイビーズ』
NSW州の新聞シドニーメイルや雑誌などでイラストを描く職を得たギブスは、NSW州ブルーマウンテンズ地区の自然の美しさに着想を得て、やがて彼女の初期の代表的キャラクターとなるガムナット・ベイビーズ(ユーカリの実の子供たち)を生み出しました。
こちらがその『ガムナット・ベイビーズ(Gumnut Babies)』(初版:1916年)。オーストラリアでは一般的にユーカリを「gumtree(ガムツリー)」、ユーカリの実をガムナッツと呼びます。
着色は色鉛筆か水彩でしょうか、繊細なタッチのこの作品は、オーストラリアの動植物に妖精のようなキャラクター性を与え、添えられた詩的な物語と共にギブスの代名詞になりました。初版の発売がクリスマスシーズンだったこともあり、第1刷はすぐに売り切れとなったとか。
同書の出版に前後して展開された第一次世界大戦時にギブスはガムナット・ベイビーズのポストカードを販売、人々は戦時下に遠くに住む家族や赤十字の小包にこれを使用しました。オーストラリアの生態系を愛らしく描いたキャラクターは、混乱の時代に人々の心をつなぐ役割を果たし、ギブスの存在は人々に広く知れ渡ることとなります。
ギブスはその後、オーストラリア国花のワトルやフランネルフラワーなど固有種の植物を題材にした絵本を制作。1919年にはかねてからの恋人とシドニーで入籍し、夫はマネージャーとしてビジネスの面からも彼女を支えました。
ギブスは90歳まで新聞にイラストを描き続け、1969年に92歳で亡くなりました。生前から自然保護や動物愛護、障害者福祉に高い関心を示していたギブス作品の著作権は、NSW州の2つの医療福祉機関に遺贈されています。
ギブスと夫の自宅だったニュートラルベイの「ナットコート(Nutcote)」は現在も、「May Gibbs’ Nutcote」として、その美しいたたずまいを残したまま記念館 兼 美術館として、ギブスの功績やその生涯を記録し世に伝える役割を果たしています。
ギブスの著作は今もオーストラリアの古典児童文学の代表作として読み継がれ、書店や図書館などでお目にかかることができます。シドニーにあるNSW州立図書館などでは、併設のギャラリーで時々ギブスの原画展をやっていたりもします。
ギブスの初期の著作である『ガムナット・ベイビーズ』は、日本で『ブッシュベイビーズ』の名前で、他のいくつかの著作と組み合わせた内容で出版されました。下の写真は知人から頂いた日本版の実物です(調べたところ、現在この日本版は絶版のようで中古しか探せませんでした)。

カラーとモノクロ両方のイラストが挿入され、テキストは日本語と英語を併記、しかも日本の読者にオーストラリア固有の花や動物の姿を伝えるカラー写真も付いたなんとも贅沢な内容。絶版が悔やまれます。
月がまるい静かな夜は
目をこらしてよく見てごらん。
みがき上げられたユーカリの
広い葉っぱのゆかの上で
こんなふうにちっちゃなひとが
まわりながらおどってるよ。
『ブッシュベイビーズ』Falannel Flowers and Other Bush Babies より
オーストラリアの森や茂み(ブッシュ)に1人きりで分け入って、そっと葉陰を覗き込むような繊細な優しさに満ちたギブスの作品。イギリスで生まれオーストラリアで育ち、再びイギリスの地を踏むもオーストラリアを終の住処に選んだ彼女の写真を見ると、優しく品良く、素朴な印象の女性です。彼女の作品を読んでいると、ギブスは動植物を擬人化して描いたのではなく、愛らしくも不思議な自然をその目に見えたまま紙に写し取ったのではないかと思えてきます。
余談ですが、ギブスの公式サイトを開くと小鳥がさえずり蝶が舞い、可愛すぎです。

