ブレードランナー2049(Blade Runner 2049)、日本でもそろそろ公開ですね。オーストラリアでは少し前から公開されていたのですが、ようやく観に行きました。
主演は、『ラ・ラ・ランド』の主演男優として名実ともにスター俳優の仲間入りを果たした、ライアン・ゴズリングです。
『ブレードランナー2049』の背景
作品の舞台は、2049年のロサンゼルス。植民地化した他の惑星に多くの人間が移住した後、治安と自然環境の悪化した地球で、高機能のレプリカントと呼ばれるアンドロイドの犯罪を取り締まる「ブレードランナー」のKをめぐる物語です。
(ブレードランナーは警察組織の一部のようです)
作品を通して、曇り空、雨、雪の空模様が多く、荒廃して寒々とした未来の地球の姿を象徴的に描いています。このビジュアルが徹頭徹尾すばらしい。
前提として、この映画『ブレードランナー2049』には、前身となる作品があります。その名も元祖『ブレードランナー』(1982年公開)。今から30年以上前の映画で、さほどビッグヒットではなかったらしいのですが、リドリー・スコット監督による同作は映画やSF愛好家の間ではカルト的な人気作品となり、多くの作家や映画監督などクリエイターに影響を与えたと言われています。小説『ニューロマンサー』のウィリアム・ギブスンとかね。
この元祖ブレードランナー、何がすごかったかというと、1980年代当時、「未来はテクノロジーの進化で人類すごいことになってる」という漠然とした明るい展望が一般的だった頃に、「いや、テクノロジーは進化してるけど地球荒廃しててイデオロギーも価値観もゴタゴタだよ」と、限りなく暗い未来を描いてみせたことでしょう。しかも、かなりの説得力をもって。
と、そんな時代背景もあって元祖の方は公開当時あまり人気が出なかったようです。
原作はフィリップ・K・ディックの小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』。小説としては描写が足りなかったりとか色々あるのですが、SFとしてはアイディアから世界観からとにかく素晴らしくて印象的でした。
以下は日本語の新装版(文庫)の表紙ですが、20年くらい前にこれを読んだ時のハヤカワ文庫SFシリーズの表紙はこんなにスタイリッシュじゃなくて、もっと「昔のSF小説」という感じの、微妙に写実的な羊の、当時としてもかっこいいとは言い難いイラストが表紙でした。あの頃のSF小説ってそういうイラストが付いていることが圧倒的に多かったのです。伝わらなかったらごめんなさい。
そんなわけで、今作『ブレードランナー2049』は、1982年の映画の続編と言われています。
ここからややネタバレ

ストーリー的には、前作の続編と言って間違いないでしょう。というのも、前作(舞台は2019年)でブレードランナーの主人公を演じたハリソン・フォードが登場するのです。もちろん同一人物の役。
前作では、ブレードランナーでありながらレプリカントのレイチェルと恋に落ち、組織から行方をくらましたのですが、その後の彼の様子が今作で描かれ、しかも物語の鍵を握る存在です。
今作の映画の冒頭、Kは通常業務の一環として、「悪いレプリカント」を退治します。しかしそこで、地中に埋められた別の女性レプリカントの30年前の遺骨を発見し、なんと、妊娠した痕跡があることが分かりました。
ここで重要なのは、レプリカントはあくまで「製造されるもの」であって、「子供を生んで繁殖できるもの」ではないはずなんですね。だからこそ、人間が上に立ち世界を管理するという社会が成り立っていたわけです。
ところが、レプリカントが妊娠可能という事実が世に出れば、まさに世界がひっくり返る事態。ということで、発見者であるKに対し、レプリカントの母親から生まれた子供の居所を突き止めて消すという任務が課せられました。
ちなみにK自身もレプリカントです。組織は「レプリカント対策」として、Kのようなレプリカントを雇っているようで、とはいっても見た目が人間と変わらないので、作中でもよく分かりません。たぶん、この「人間との差異がハッキリしない」、けれども「人間とは違う存在として区別されている」という点も、この作品を語る上で重要なことだと思います。
レプリカントは元々、人間に代わる労働力として生み出されたという設定です。
人間と異なる点というと、彼らは自分がレプリカントと知っているので、自分の記憶に自信がないことでしょう。高性能なので記憶力は良いのですが、機械のデータは書き換えが可能。管理者側が書き換えていないという保証はありません。「自分が覚えているこの記憶が、本当に自分が体験したことかどうか分からない」ということです。これ重要。
人間だって、もしかしたら記憶書き換えの技術があって、そんなことが起きているのかも、と考えさせてくれますね。
レプリカントでブレードランナーのKは、基本的に仕事でも機械的で殺伐とした暮らしを送っています。そんな彼が唯一、笑顔を見せるのが、自宅アパートにいるAI(人工知能)を立体投影したフォログラムのジェイ(アナ・デ・アルマス)。かなりの高性能なので、同居人といった感じで、2人の間には穏やかな男女の愛情が感じられます。
ジェイ役のアナ・デ・アルマスは、次期ペネロペ・クルスとの呼び声も高い女優で、人間の理想を具現化したAIのデザインに相応しい可愛さ&美しさです。
気が進まないレプリカントの子供の捜査を進めるうち、子供の誕生日がKの幼少時の記憶にあるおもちゃに刻印された日付と同じであることか発覚。Kは次第に、自分自身がその子供なのではないかと疑念を深めていきます。
やがて、元ブレードランナーで隠遁者のデッカード(ハリソン・フォード)を探し出し、彼がレプリカントの父親であることが明らかに。しかしデッカードは、世界のレプリカント製造を牛耳るウォレス社に誘拐されてしまいます。
というように、「レプリカントの生殖能力」をめぐり、人間や人造人間の在り方や価値が揺るがされるというのが本作の大筋です。
どの立ち位置にいる人も、自分の立場やアイデンディティーを守るために血みどろの戦いを繰り広げるのですが、じゃあその「立場」や「アイデンディティー」って一体どこから来ているの?と考えると、やはり、「記憶」ではないでしょうか。
それを踏まえ、ラストシーンが綺麗で切ないです。
監督はドゥニ・ヴィルヌーヴ
今作の監督は前作のリドリー・スコットが、カナダ人のドゥニ・ヴィルヌーヴに託しました。昨年2016年の『メッセージ(Arrival)』などで知られる監督で、寒いケベック州の出身だからか、悪天候の寒々とした雰囲気のシーンに厚みがあってすごく良かったです。
とにかくビジュアルのインパクトというか説得力が素晴らしい映画でした。お金かかってますね。キャスティングも無駄が無くて良かったです。ライアン・ゴズリングはあまり個性的でない感じがするのですが、役に非常に合っていたと思います。ララランドの時もそう感じたのはなぜなのか…。
強いて言えば、「平均してすごい」映画だったので、これといって印象的でないというか、「好きな映画ランキング◯位」などに入れ忘れてしまいそうな作品です。なんででしょうね、いい作品だったのに。
ちなみに、以下の映画批評サイト「ロットントマト」を結構信用しており、観ようか迷っている映画作品は必ずチェックしています。
